傑傳寺の概要
天桂山 理應院 傑傳寺
傑傳寺の歴史
現存する『天桂山傑傳禅寺文書』(金沢文庫所藏)によると、萬治の初め(1658〜1661年頃)永平寺第27世 嶺巖英峻禅師
開山。江戸における幕府重鎮であった、酒井忠勝を弔うため建立された。忠勝の戒名『空印寺殿傑傳長英大居士』より傑傳をとり寺名とした。当時は広大な敷地を有し、永平寺直末であり、さらに酒井家の香華寺であることから繁栄した。
近代、神仏分離令・寺社領上地令・仏毀釈運動等による変遷、また、大正年代には関東大震災の被害で酒井家も出身の小浜に引き上げ、戦後は農地開放されるなど、様々な事柄において様子は一変した。
その後、当寺25世住職の代、復興の努力が実り、昭和44年、近代風ながら本堂が新築。
続く26世住職の代には、昭和55年客殿の新築、境内整備等が行われ現在に至っている。
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